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About Body

パフォーマンスアートにおける「身体」についての、わたしのイマジネーションの相のいくつかです。すべてではありませんが、思いつく物を列挙してみました。



1.「行為の彫刻としての身体」

これは、アートに使われる身体としては、基本中の基本。わたしの指令に応える動く身体「わたしの遠くて知らない人」の行為を彫刻して、構成します。ただし、練習を重ねて、機械のように、あるいはふりつけられたように動かそうとは思いません。「遠く」からの声の指令に応えるので、もどかしい動きになるでしょう。わたしという意識とこの「遠くて知らない人」である身体との連絡の五感的なずれを、意識することで、機能の具合というものを、強調できると思います。

 

2.「物質的な身体(名づけられていない身体)」

身体が動けば、衣擦れがしたり、ぽきぽき骨がなったり、皮膚がすれる音、いろんな音がなります。拍手、壁を叩くことによって鳴る音もありますし、どこからか落ちれば、どしんと言います。これらは、わたしたちが、わたしたちの身体に重さがあること、概念や想像ではなく、つまり実体そのものであることを気づかせてくれます。名前以前のものです。わたしは、それらの音の明確さが、ひとつひとつの固有の命の元気さのように思うのです。石でさえも。心臓音、息や臭いもここの含まれます。


 

3.「社会的身体(社会において名付けられた身体)」

誰の身体でもいいのではなくて、自分の身体で行うということは、自分の意志の表明ができます。義務も背負います。わたしが誰かのキャラクターを演じるのではなくて、この「遠くて知らない人」が、その独自の環境の中で、つまり、時代、国籍、性別、年齢、出自、見た目などと、その社会的立場を、持っているのです。身に付いた癖や、文化はそこにあるでしょう。また、それは社会や国家に属していて、わたし自身にとって、自由ではないことが頻繁にあります。それらの特徴をを意図的に、表現のために使用します。ストリートでのゲリラ系アクションパフォーマンスはこの身体を使うのが、一番、場を生かすことができると思います。コミュニティを共有し、参加する身体です。



4.「他者との距離を意識する身体」

関係性についての身体です。差別、不愉快、許容、接近、親しみ、恋、同一化、敬意、あこがれ、神格化。それらは別々のものではありません。



5.「人格の容器としての身体」

「知らない」という意味を「未知の人」と解釈して、その「架空」イメージを遊ぶ事も出来るかもしれません。身体のキャラクターの部分を落して、ブランクに近い状態にします。どうなるでしょう?わたしの経験では、わたしのそこをブランクにしたまま、町にほおり出したら、別のアーティストが、勝手にパーソナリティを入れてしまって困ったことがありました。



6.「他の生き物を経験しようとする身体」

猫が、人間たちのパーティに参加して、自分も人間であるかのように錯覚しているような態度をとることがありますね。そのように、何か、別のもの、たとえば、自分が植物だと思い込もうとしてている身体を、やってみる。単に、擬態するのではなくて、他の生き物のスタイルを通して、生物についての真実を想像しようとします。



7.「目に見えない身体」

情報と記憶によってのみイメージする身体があります。コンセプトを表すアクションの中には、時に、見る必要がないことがあります。その前か、その後が、べつの空間で行われる/行われるものを想像することができます。その前か、その後で、身体また、それが行われるというイメージの中で充分な場合があります。オノヨーコのよるインストラクションもそういった身体によるアクション作品です。



8.「ノマド化する身体と定住する身体」

”位置”を持たない身体。巡礼する身体。移動への欲望を止めない身体。「社会的身体」が、こわれて変化しようとしている身体。これに対して、土地定住型という身体を対比させることができるかもしれません。


9.「シャーマンとして身体」

パフォーマンスの身体としては、最も古典的なものです。「祝」とともに「喪」の表現には欠かせないものでしょう。



10.「新しい理想として身体」

人間は、身体のアクションによって、様々なスローガンがなされてきました。18〜20世紀は民主主義革命の世紀で、世界中で、拳をあげるポーズで、団結し、高揚してきました。団結、高揚はすばらしいけれど、誰か他の人たちを倒さなければならなかったことも少なくありませんでした。特に20世紀は、あまりにも多くの犠牲がありました。

  21世紀に相応しいアクションは、どんなものでしょうか。今、私たちは、それを創造しなくてはなりません。それは人々と暮らし、話し合いながら、作っていくものかもしれません。リラックスする必要があると思います。わたしは、出会い、インタビュウなどを通して、それをイメージし、トライしていこうと思っています。