
date : 2024/12/22 16:30~20:10
venue : 東京駅丸の内口広場外周 Tokyo Station, Marunouchi Station Square
project : Winter Durational Performance 2024 〈不眠症 Insomnia〉
IPAMIAのプロジェクトであるDPPT(Durational Performance Project Tokyo)の2024年末イベントで、9:00~21:00に時間内に4人のDPPTメンバーが、東京駅丸の内口広場にて、それぞれが選んだ場所でパフォーマンスを行なった。山岡は、日暮れの16:30から始めた。
この時行った《往復する拳》はシリーズのvol.4になる。使うマテリアルとしては、神保町のPARAというスペースで行ったVol.1と2と同じく、山岡の自宅から電車でおよそ1時間半ほどの玉淀と呼ばれる河原(荒川の上流)で拾ってきた拳大の石を扱った。それらは、いつもは数日以内に元の河原に戻したが、今回は2ヶ月半くらい後に返した。
シリーズのvol.1~3 までは、室内の2箇所のテーブルあるいは彫刻台の間を石を往復させるという比較的単純な動きだった。だが、このvol.4では、広場の外周の様々な場所に石を置きつつ、行きつ戻りつ歩いて一周した。行程は、下の地図のように東京駅の中央口前から始めて、丸の内口南口の前を通り、中央郵便局側(東京KITTE)方向に行き、丸の内ビル、新丸ビルの前、日本生命丸の内ビル前から、丸口北口を通り、中央口前に戻るというもの。それぞれの置き場所は歩きながら即興的に選んだので、31箇所になったことに全く意図はない。まず、7個の石を①から順に各場所にに1個ずつ置き⑦まで置く。そして、最初の①②の石を取りに戻り、⑦の先の⑧⑨に置く。そして、また③と④の2個を取りに戻り、⑩と11に置いて進ませる。色々な場所に忍び込ませるのが楽しかった。その行きつ戻りつで、少しずつ進む。16:30から始めて、19:30くらいには、中央口に戻った。観客は始め10人くらいだったが、最後までついて来てくださったのは、6人。ちなみに、この31箇所については、同行してくださったライターの平岡希望さんのメモを参考にさせていただいた。平岡さんは、この日のDPPTの朝9時からの4人分のパフォーマンスについて書いてくださっている。感謝 →こちら
そして、そこで終わりではなく、その7つの石を、7人が(私を含め、観客やメンバー)片手に持ち、大手町の将門塚に向かった。そこは歩いて大体15分くらい。そこに、石たちを、1週間くらい預けてみることにした。そして、それは12月29日の14時くらいに回収に行った。そして、それらはその日は、まず、山岡の自宅に運ばれ、その後、年を跨いて2025年3月3日に寄居に戻した。詳細は、以下。

さて、↑ここから始めるつもりだったが、ここに石を並べ始めているほんの2〜3分のうちに、駅員さんに5個ほど片付けられてしまった。2個は私の手に残っていた。ピンチか? 恥を忍んで駅長室に行ったところ、あっさり返してもらえた。私は小さな嘘をついたかもしれない。それらは故郷の石であり、それらと駅の石碑に置いて記念写真に撮りたかったとか、なんとか。そこは記念撮影スポットなのだ。そして、どれほどこの公共空間がクリーンに維持されているのか、思い知った。そのこともあって、パフォーマンスの内容が決まって行った。異物である「どっかの」石たちはどこに置かれても、なんとなく居心地悪いだろう。一個一個を大切に。しかも、いつまた片付けられてしまうかわからないので、隠しがちに行うということになった。(そもそも、都心には小さい石さえ落ちてないということを5月のvol.1 の準備の際、気がついた。その際、マテリアルの石はイベント会場の近くで拾おうと考えていて、近くの公園を7つくらい回ったが、それらには小石さえなかった。ちょっとした衝撃。それで、以前にも拾いに行ったことのある、良い石に恵まれていると聞く埼玉の奥地、寄居に行った。そうしたことで、これらのパフォーマンスの方向が変わっていく、いつも。)
























@新丸の内ビル北東交差点近く-1280x910.jpg)


@日本生命丸の内ビル南西角前-1280x922.jpg)







@東京駅丸の内北口外-1280x926.jpg)
@東京駅丸の内北口内-美術館入り口-1280x963.jpg)




撮影・長沼宏昌

パフォーマンスはここで終わりではない。私およびパフォーマンスに付き合ってくれている6人の人たち(最初は12人くらいいたが、半分になった)で石を一つ一つ手に持って、大手町の将門塚へ歩いていく。、人数と石の数が合ったのは偶然。ここはただただ普通に歩く。クリスマス前のイルミネーションの中。大体15分くらい。




なぜ、将門塚に石を預けに行ったのか? 埼玉の山の河原で拾った石たちを丸の内に持って来たので、土地の精霊(ゲニウス・ロキ)に挨拶をしておきたいと思ったから。これら石のパフォーマンスを最初に行った神保町では、室内のパフォーマンスだったので、あまり土地柄を考えなくても良かった。だが、屋外ともなると、このあたりは一体どういう土地なのか? ということを考えてしまう。長い間都市だったこの辺りのことなので、さまざまな地霊があるだろうけど、取り合えず、旧知?の「将門の首塚」に挨拶をしていこうと考えた。以前来た時は、古い寺の一角のような場所で、カエルの置物がたくさんあった。それらのカエルは、人々が勝手に置いたのかもしれない。幼児のおもちゃのようなものも色々あり、庶民的な雰囲気を醸していた。平将門の拠点のあった、筑波が蝦ガエルで有名で、将門の守神だからだと聞いたことがある。なので、私の持って来た石たちを1週間くらい、そこにカエルとともに置いて、彼らに守ってもらえたらいいのではないかと思った。もちろん、将門塚には、さまざまな祟りの話があり、少々センシティブであるともわかっていた。でも、私はどちらかというと、ざっぐりとした括りでは「将門」側なので、居心地は悪くないだろうと思った。
ところが、久しぶり訪れた将門塚は、ずいぶん違ったものになっていた。きれいにカエルたちが撤去(?)されていて、なんというか、美しい神道の祈りの場のようになっていた。なんと監視カメラもある。計画を変更せざるを得なくなった。そこで、敷地の横の歩道の植樹の土の部分に一個ずつ隠すことにした。
venue: 大手町将門塚

→こちらは2024/12/22の様子。カエルたちは完全に撤去されていた。







date: 2024/12/29
venue: 大手町将門塚
14時くらいに、7つの石を取り戻しに行く。北山聖子さんが一緒に行ってくれて、ビデオを回してくれた。そして石は、無事、全部見つかった。その日の夜に山岡の自宅に持ち帰る。

date : 2025/3/3
venue : 埼玉県寄居荒川玉淀河原
雪降る中、河原に 7つとも戻す。この日は、この後、近くの鉢形城址で小さなパフォーマンスを行った。







